好きなタイプが答えられない

聞かれますね

好きなタイプってどんなタイプ?

好きな芸能人は?

 

自分のこの答えられないには2種類ある

1.ほんとにわかんなくて答えられない

言われて、どんな人かなと考える

普段そんなこと考えてないし、テレビを見なくなって久しい

ネットニュースや少し前の記憶を手繰ってみる

 

2.思いつくが恥ずかしくて答えられない

(ちなみにテレ朝の宇賀アナがストライク)

テレ朝の朝の顔として全年齢に評判の良い

宇賀アナに非があるだろうか

 

たぶん、「こいつは宇賀さんがタイプなのかぁ、キショ」とか思われるのが嫌なんだと思う

 

テレ朝の朝のか(ry

 

自信を持って言えないのはきちんと説明できない、理由が言えないからだと思う

 

別に誰だっていいよな

明日には忘れられてるんだろうから

 

今回の投稿で考えるキッカケになりました

サトー

 

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ハラ

僕は、好きなものが好きだ。なぜなら、好きだからだ。

 

好きも自信も、理由とか根拠なんか要らないんじゃないか。

理由なんてなくたって好きなものは好きだし、自分より優れたやつがわんさかいる世の中で、自信に根拠なんてないよ。

自分の好きをオープンにしたくなきゃしないで、別にいいんじゃないかな。

他人に言うメリットってあんまりないと思うんだよね。

そうすることにデメリットを感じない人が、オープンにしてるだけなんじゃないかのう。

持ってないって話
 
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そうそうそうそう、わかるよ、自分語りをさせろ。俺は、自分の夢を持っていれば素晴らしいみたいな、マッチョ思想が嫌いだ。そして、そんなのは正しくないってことに大人になって気づくんだ。俺には、小さい頃から夢なんてなかった。自分の夢について考えたっていう最初の記憶は、幼稚園の卒業の記念冊子に園児それぞれの将来の夢、って項目があってそこには30人のクラスで俺が唯一、「なし」って書いていた。みんなは、お花屋さんとかケーキ屋さんとか、警察官とか書いてたはずだ。でも、そのときは特に気にならなかった。その次の記憶は小学2年生の時に、小学校の先生に「将来の夢は?」って聞かれて、答えられなかった。先生に「夢がないね」って言われて、泣いた。今でもあの先生をぶん殴りたいって思える。あの日のことで屈折せずに生きてきた俺偉い。小学4年生のときにもまた、将来の夢、を書かなきゃいけないことがあった。俺も少しは周りに合わせることを覚えてきて、でも将来の夢なんてなくって、その紙をクラスで一番最後まで提出できなかった。最後にはありったけの汚い字で「野球選手」って書いたのを覚えてる。自分に嘘をついた気分ですごく嫌だったし、それ以上にそのことにもし誰かに尋ねられたくなくてビクビクしてた。周りのみんなは、なんで迷いなく将来の夢なんて言えるんだろ、ってすげー不思議だった。自分が大人になるイメージなんて全く持てなかった。そんなこんなで進学して、高校なんかでは将来の夢と向き合うことなんてなかったはずだ。あるのは進学先の文系と理系と偏差値と学部とそんなところだった。少なくとも俺はどうやって生きていきたいかなんて考えてなかった。いい大学に入ろうが、どこにいて何しようが、俺は俺だろ、って思ってた。少なくとも、受験の知識があって問題をたくさん解ける俺と、そうじゃない俺が、そんなに違うとは思えなかった。勉強に全く身が入らなくて、なんとなく、地元の微妙な私大の経済学部に進学した。大学の3年の終わりとかになって、みんな就活ってやつを始め出した。そんで、みんな自分がやりたいことがわかんない、とか周りが言い始めるのが見えるようになってきた。ここでやっと、別にみんなそんな真剣になって、自分の夢、とか言ってたわけじゃないんだな、と気づいた。あの、夢がない、っていう劣等感に悩んでた時間ってまじでなんだったんだろ、って。なんやかんや今は社会に出て働いている。大人になんてなれないと思っていた俺は、いまだに大人になったような気なんてしないし、相変わらず気楽に楽しく生きてる。夢のために頑張るのは素晴らしいのかもしれないけど、単に夢を語ることに価値なんてないし、夢を見るのが素晴らしいみたいなのは、俺にはちょっとわかんないなあ、って感じだ。俺は、相変わらず夢なんてなくて、やりたいことがあったらやるし、やりたいと思ってもめんどくさいときはやらない。それでも何とか生きてるよ、俺は。とにかく俺は、夢なんて持たなくてもいいんだよ、って昔の俺に言ってあげたいのだ。

与えよさらば与えられん

難しいよな、これが

サトー


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ハラ

聖書にある、求めよさらば与えられん、じゃなくて、与えよ、ってことね


これの難しいところって、先に自分が与えてもリターンがあるかわからない、ってとこで。

リターンがない間も、どれだけ与え続けられますか、っていうのが肝な気がする。

そして、もしリターンが得られなかった場合、どうやって納得感を得ますか、っていうのも予め用意しとくべきだと思う。

こわいけど臆さない

ゲームのネット対戦で知らない人に負けるのが嫌だ。
ネットに書いた記事が誰がに叩かれるのが嫌だ。
最近は、その嫌な感情も含めておもしろいなんて思ったりするのだ。
俺が思う自由って、そういう、臆さない、みたいなところにある気がしてる。

音楽は飽和するのでは?

音楽は演奏できない、楽譜も読めない。
専ら聴くだけ。
ふとした疑問だが、
いつか全てのメロディーが出尽くして新しい曲は出なくなるんじゃないか?
既出で誰かと被ってるんじゃないか?
まだまだ先かな
誰か教えてください
サトー

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ハラ
確かに人間が聴いて心地いいって思う音自体のパターンって飽和してる感あるよね
最近は、弦楽器のベースギターで出せない低音域をシンセサイザーで出したりするのだとか
技術で新しい音が生み出されるっていうのは素直にいいな、って思う
それも飽和していくのかな
それでも、普遍的にいい音楽はいい音楽として残っていってほしい
僕らの自由を、僕らの青春を、大げさに言うのならばきっとそういうことなんだろう 

男だけど、セクハラ発言されるのが苦手だ。

男だけど、セクハラ発言されるのが苦手だ。
確かに昨日は、彼女とご飯行くからって部長に誘われた飲み会は断った。
でも、今朝の「昨日はお楽しみだった?」ってニヤニヤ聞くのは、不快なのでやめていただきたい。
他人の性欲が透けて見えるときって、不快だ。