持ってないって話
 
<<<
 
そうそうそうそう、わかるよ、自分語りをさせろ。俺は、自分の夢を持っていれば素晴らしいみたいな、マッチョ思想が嫌いだ。そして、そんなのは正しくないってことに大人になって気づくんだ。俺には、小さい頃から夢なんてなかった。自分の夢について考えたっていう最初の記憶は、幼稚園の卒業の記念冊子に園児それぞれの将来の夢、って項目があってそこには30人のクラスで俺が唯一、「なし」って書いていた。みんなは、お花屋さんとかケーキ屋さんとか、警察官とか書いてたはずだ。でも、そのときは特に気にならなかった。その次の記憶は小学2年生の時に、小学校の先生に「将来の夢は?」って聞かれて、答えられなかった。先生に「夢がないね」って言われて、泣いた。今でもあの先生をぶん殴りたいって思える。あの日のことで屈折せずに生きてきた俺偉い。小学4年生のときにもまた、将来の夢、を書かなきゃいけないことがあった。俺も少しは周りに合わせることを覚えてきて、でも将来の夢なんてなくって、その紙をクラスで一番最後まで提出できなかった。最後にはありったけの汚い字で「野球選手」って書いたのを覚えてる。自分に嘘をついた気分ですごく嫌だったし、それ以上にそのことにもし誰かに尋ねられたくなくてビクビクしてた。周りのみんなは、なんで迷いなく将来の夢なんて言えるんだろ、ってすげー不思議だった。自分が大人になるイメージなんて全く持てなかった。そんなこんなで進学して、高校なんかでは将来の夢と向き合うことなんてなかったはずだ。あるのは進学先の文系と理系と偏差値と学部とそんなところだった。少なくとも俺はどうやって生きていきたいかなんて考えてなかった。いい大学に入ろうが、どこにいて何しようが、俺は俺だろ、って思ってた。少なくとも、受験の知識があって問題をたくさん解ける俺と、そうじゃない俺が、そんなに違うとは思えなかった。勉強に全く身が入らなくて、なんとなく、地元の微妙な私大の経済学部に進学した。大学の3年の終わりとかになって、みんな就活ってやつを始め出した。そんで、みんな自分がやりたいことがわかんない、とか周りが言い始めるのが見えるようになってきた。ここでやっと、別にみんなそんな真剣になって、自分の夢、とか言ってたわけじゃないんだな、と気づいた。あの、夢がない、っていう劣等感に悩んでた時間ってまじでなんだったんだろ、って。なんやかんや今は社会に出て働いている。大人になんてなれないと思っていた俺は、いまだに大人になったような気なんてしないし、相変わらず気楽に楽しく生きてる。夢のために頑張るのは素晴らしいのかもしれないけど、単に夢を語ることに価値なんてないし、夢を見るのが素晴らしいみたいなのは、俺にはちょっとわかんないなあ、って感じだ。俺は、相変わらず夢なんてなくて、やりたいことがあったらやるし、やりたいと思ってもめんどくさいときはやらない。それでも何とか生きてるよ、俺は。とにかく俺は、夢なんて持たなくてもいいんだよ、って昔の俺に言ってあげたいのだ。