CDレンタルショップに走った高校生が大人になった。


MusicFMを使っている高校生が大人になっていく。
https://note.mu/mihiro_blue/n/n8da9b360405a


SpotifyASIAN KUNG-FU GENERATIONのホームタウンのアルバムを聞きながら、上記の記事を読んで僕も何か書きたくなったので、何を伝えたいでもなく、着地点も考えずにこれを書いている。
ナルトのOPはアジカンの遥か彼方の世代の25歳なのである。高校2年生の17歳から8年も過ぎてしまったことに驚きを隠せない。
アジカンの好きなアルバムは、うーん、迷うなー、やっぱソルファかなあ、ファンクラブやマジックディスクみたくちょっと緩さのあるアルバムも好きだなー。

 

最近は、スマホの普及でずいぶんシェアが落ちてるみたいだけど、僕が高校生だったときは、ガラケーが主流だった。
だから音楽を聴くのは、もっぱらiPodWalkmanガラケーに音楽を入れるか、あと無名メーカーのMP3プレイヤーとかもあったなー。
違法ダウンロードについては、その頃からあったのを覚えている。
でも、MusicFMみたいな手軽なものはなくって、パソコンで怪しいサイトからMP3をダウンロードしてくるとかトレントを使うとか、
多少アンダーグラウンドな知識がある一部の人が使っていた印象だ。
ただ、違法アップロードのYouTubeとかニコニコの音楽動画なんかは、今よりももっと溢れていたような覚えがある。

 

僕の話をする。
中学時代、BUMP OF CHICKENRADWIMPSにハマりこんでいた僕は、高校になってFACTやPay Money To My Painなんかのハードロックにハマっていた。
僕の周りは、おんなじように、ロキノン厨とあの頃は呼ばれていたようなサブカル好きの友達に囲まれていた。
高2のときに大型のTSUTAYAが通学のハブステーションにできた。
できてすぐに行ってみよう、とうことになって電車通学をしてる仲が良かった友達3人で新しくできたTSUTAYAに入った。
そこには何十もの棚が壁になっていて、所狭しとCDが一面並べられていた。
情報の山に押しつぶされそうになりながら、溢れるくらいワクワクを感じていたのを覚えている。
僕らは4枚で1週間1000円のCDを、お互いそれぞれの好みにちょうどいい枚数に合わせて借りて、みんなでシェアしていた。
持って帰って自分がパソコンに取り込んだら、次の日に学校で友達と交換する。
そして、一週間が経って返却期限になったら、また新しいCDをみんなで借りに行くのだ。
CDショップは僕らにとってのコミュケーションのツールになっていた。
あのアルバムがヤバかったとか、あの新譜はクソだとか、言いながら過ごした時間は今思えば心地よかったなあ、と思う。
あのときCDショップ大賞をとったandymoriの『ファンファーレと熱狂』は最高傑作だと、今でも思ってる。
今も実家にはレンタルCDを焼いたCD-Rが何百枚も残っている。今はもう聞かないけれどどうしても捨てられる気がしない。

 

僕の高校時代も、周りに、違法ダウンロードでお金を払わずに音楽を聴いてる人たちがいた。
ネットでただで音楽がダウンロードできるんだぜ、とか自慢めいた言い方をされて不快だったこともある。
実は、僕も高校入学当初までは、違法ダウンロードで音楽を聴いていたことがある。
ただ、とても悪いことをしてる気分で、周りの誰にもそのことを話したことはなかった。
だから、音楽にお金を払うことは僕にとって気持ちを楽にしてくれた。
(あと、PCがウイルスに晒される脅威もなくなったし、糞見たいなADSL回線でダウンロードをする必要もなくなった。)
何より、音楽を作っているミュージシャンに対して胸を張れることが大きかった。

 

この問題ってすごく難しい問題で、簡単に解決できる問題じゃないと思っている。
インターネットの時代で法律が国を超えちゃったりする。
違法ダウンロードはいいことではないんだけど、罪に問われることはまず、ない。
結局はモラルの問題になってしまうからこそ、僕は音楽を作ったミュージシャンにお金を払いたいし、それでまたいい音楽が生まれたらなって思う。
だから僕は、お金を払わない人を非難するよりも、お金を払って音楽を聴くことを肯定したいなって思うのだ。

 

そして今日も僕は、ナンバガ再結成のニュースを見て、遠く離れたあの頃の地元の友達に「『OMOIDE IN MY HEAD状態』のライブアルバムまじやべーよな」、とLINEで語り合うんだ。